ずっと胸の中にある「教育」への疑問
ずっと自分が受けてきた日本の公共「教育」に疑問や課題意識を持ち続けてきた。
中学生のとき、授業で与えられた課題が早く終わったので、
部活の仲間にあげるミサンガを編んでいて注意され、
怒られる意味がわからなくて軽く騒ぎを起こしたこと。
「元気なあいさつ」を強要する教師に辟易していたところ目をつけられ
「なぜあいさつしないんだ」と質問され
「する気にならないからです」と答えたら合唱交換会が中止になったこと。笑
ふてくされて音楽室にひとり残っていた私にずっと寄り添っていてくれた担任、
それでも友達でいてくれた仲間。
山梨だから、公立だから、埼玉の私立の吹奏楽部には太刀打ちできない。
行く学校の違い、環境の違いで結果が変わるなんて何事だろうとイラついてたこと。
その怒り(だけじゃないけど)をエネルギーに誰よりも練習して、
指揮者として全国大会金賞を2年連続取れたこと。
高校生のとき、教師対生徒ではなく、
人として対等に向き合ってくれる大人に出会うことができたこと。
自分で調べて推薦入試を受けて志望校を決めたら、
センター試験と有名校に合格して合格実績に名を連ねることが推薦入試出願の条件で、ハァ?って思ったこと。
へんだなあ、って思うこともあったし
自分は恵まれてるなぁ、って思うこともあった。
大学ではあえて「教職」ではなく「教育学」を学んだ
大学もあえて教員養成課程ではなく「教育学」そのものを専攻した。
学問の中に答えは無いと身体で悟りひたすら実践を重ね
(今こういうと聞こえはいいが実際相当遊んだしいろんな活動に勤しんで勉学は…卒業単位ぴったりで卒業したし)、コーチングと出会い、いまも仲良くしてる大好きな仲間達に出会い、一目惚れして入社を決めた人材教育コンサルティング会社の人事担当として走りながら考え、働き、悩み、結局自分の人生は自分でつくるしかないんだ、誰にも答えはわからないんだ、と腑に落ちて、直感に従ってみて、やりたいこと思いっきりやっても死なないんだ〜ってことがよくわかって、そしていま。
知る、わかる、行う、できる、分かち合う。
転換点がまた来てるのだなぁということを、思った。
「教育」は学校の中だけのものじゃない
メールコーチングをするようになって、プロコーチとして立場をとり、
この間ある仲間とSkypeミーティングしてたときに思ったことがある。
「月○円の副収入を得られるようになる!」とか、何桁稼ぐ!とか、
そういう講座をやるのは簡単だ。やり方のカラクリもわかった。
でも私がしたいことはそれじゃない。
かといって、これまでの自分の努力の痕跡を晒して、
あとに続く人にそれを強要し、ジャッジし、
相手の可能性を奪うようなこともしたくない。
やっぱり私は、「コーチ」でいたい
自分の気持ちに正直に、いまも未来も幸せな毎日を歩む。
それが決して特別なスキルや地位ではなく、
どこにいても 誰もいても 他になにか仕事をしていてもしていなくても、
できることなんだなということを、1人でも多くの人に伝えたい。
というか、実感してほしい。
日本の教育を、変える?
変えようとか、変革とか、それをビジネスにするとか、気合を入れなくても。
もはや変わらなくてはこの先、生きていけないから。
それが分かってる人は準備を始めているし、
そうでない人は淘汰されていく運命なのだ。
私はただ、
自分の人生に何よりも夢中で
だからこそ自分以外の人の人生の尊さも心から感じられて、応援したいと思えて
その相互作用でお互いがどんどん、
最初自分ひとりでは想像もつかなかったような「理想」のその先へ
気がついたら立っていた、みたいな。
そういう「コーチャブルさ」を生きる人が増えてほしいな、と思う。
そして自分もその1人として死ぬまでいたい。
そう思う。心から。
なので今日、決めた。現代版松下村塾を都留につくる。
私の住む山梨県都留市には、全国的にも珍しい市立の教員養成課程を含む大学、
都留文科大学がある。
ここの学生たちと最近一緒になったり、話をする機会が増えてきているので、
彼らとのつながりを中心に、それ以外の一般の人でも
「共育」ということばにピンとくる人たちが定期的に集える場を開放して、
コーチンググループをつくろうと思う。
\だんだん形になってきました!/
【まちづくり・地域おこしに興味のある方へ】田舎フリーランス養成講座@都留を開催します! – ならみおダイアリー
教師はいない。代表もいない。ただそこには人の輪と、それぞれの志があるだけだ。
でもそれで、十分じゃないかと思う。
ただのゲストハウスでは終わらない。というか、まだ始まってもいない。
現代版松下村塾、始動していきます。お楽しみに。
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