2016年1月19日。2011年4月に新卒で入社した人材教育コンサルティング会社アチーブメント(株) を退職しました。この日は私にとって一生忘れられない人生の転機。その日に起こったことや、感じたことを、今後ずっとずっと忘れないために、ここに残しておこうと思います。
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仕事は順調で、不満はなにひとつなかった
私はもともと教師になるつもりで大学に行き「教育学」を学んでいました。
ですが、
学校だけが「教育」の現場ではない。
むしろ社会に今求められている「教育」の本質を追求したい
そんな思いもあって、企業経営者やアスリート、名だたるビジネスマンたちがこぞって通う研修を企画・提供したり、企業向けに研修プログラムを提供している、アチーブメント株式会社に入社を決めました。
教員採用試験を受験する前に、一応経験として「就活」はしようかなと思っていたのですが、その「経験」のひとつとして出かけた学生と社会人との飲み会で当時の社員さんと出会い、アチーブメントだけ受けたら内定してしまいました。逆・一本釣り。笑
1年目:人事(労務・内定者教育担当)、2年目:個人営業、3〜4年目:法人営業(おもに新卒採用コンサルティングのプランナー)、5年目:人事(新卒採用担当)をしていました。
会社員時代。たっくさんの思い出があって、会社のこと、仲間のこと、大好きで
すごくいい時間を過ごさせてもらったなと今でも思っています。
採用コンサルティングの仕事は今思えば本当に楽しかった。でもあれをコンサルティングと言っていいのかは未だに疑問も残る。とにかくチームの一員となって、並走し、泣き、笑う。そういう本気さや生きてる感を灯すことが、私に唯一提供できる価値だった。
— ならみお🗻都留で田舎フリーランス養成中 (@naramio0512) 2016年3月3日
やっぱり採用活動成功の究極の鍵は、誰からも愛され応援される会社になることだと思う。
— ならみお🗻都留で田舎フリーランス養成中 (@naramio0512) 2016年3月3日
そしてしみじみと思う、私はお客様に恵まれていた。大好きすぎて自分を追い込んじゃったけど、今はそれもそれで良い思い出と思える。
— ならみお🗻都留で田舎フリーランス養成中 (@naramio0512) 2016年3月3日
とにかくお客様が大好きで、仲間が大好きで、無我夢中で走り抜けた5年弱。
それなのになぜ、私はその道から外れることを選んだのか。
そこにはある小さなきっかけがありました。
ブラック企業といえばそうだったのかもしれないけど、そういう問題ではないように思う。
とにかく毎日忙しくて。
そのころの私は思考停止していて「これが充実している、っていうこと」と勝手に自分で納得しちゃってました。
朝から晩まで働いて、家には本当に、寝に帰るだけ、のような生活。
ひどい時はシャワーだけ浴びに1時間だけ帰ってまた出社する、とか。
終電も逃して、タクシー帰りすることも普通だったし、深夜まで上司と飲み明かすことが楽しくて。
休日も私服で出社していたり、ネイルヨガマッサージにかまけてお金は全然貯まらず。
毎朝始発で出社して営業トレーニングするとかが美徳とされている会社でした。
こういうこと話すと、すぐに「ブラック企業」ってみんな言いがちですが
残念ながらこれは私の退職理由にはなっていません。
むしろ、自分から望んでこういう環境に身を置いていたし、実際楽しかった。
仕事も量はかなりありましたが、それらを調整・交渉することも含めて単純に実力がなかっただけです。
いちばんの問題は、
自分の「未来」を描けども描けども、字面ばかりが立派になって、実感が全然わかない
ということでした。
27歳。「子育てと仕事を両立して…」とか書いてるけど旦那どこ。状態だったし、
このままこの働き方を続けていったとしても「女としての幸せ」…結婚して、子供産んで、育てて、みたいなのが実感できる見通しが持てなかった。
※注※
現在のアチーブメントには、結婚し子育てしながら会社に通っているママさん社員もいらっしゃいます。当時の私は疲れもあってだいぶ思考能力が低下しており、戦略立てて頑張るエネルギーを持ち合わせていませんでした。
「アラサー」と呼ばれる頃になってきて、自分の将来とか人生とか、本当にこのままでいいのかなっていうことを、ふと考えるようになったんです。
震えた
「 発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。」https://t.co/nItnDZAlOi— ならみお🗻都留で田舎フリーランス養成中 (@naramio0512) 2016年3月1日
決して不幸ではありませんでした。
でも、ただただ毎日「いつか」やってくるであろう未来の「ビジョン」実現のために「いま」を犠牲にし、我慢して働き続けるのが私には合わなかったのだと思います。
いつ来るかもわからない「未来」のために「いま」を犠牲にすることが私には耐えられなかった。会社をずっと好きでいるために、この道を選んだ
惰性でそのまま会社にい続けることもできたかもしれないです。
でも、当時の私にはそれができませんでした。
自分の気持ちに嘘をつくことが嫌だったから。
本当はわがままで、自分勝手で、自分を余すことなく輝かせたいと思っていたから。
そんな自分が無理して会社にい続けても、そのうち不満を溜め込んだ末に爆発させて、変な評判を外に起こしてしまうかもしれない。
そうなる前に、自分がいまでも会社のことを好きだと心から言っていられるうちに「離れよう」と思いました。それが全てです。
好きでいられるうちに別れたい、って、なんだか恋愛みたいですね…
退職の意向を人事(直属の上司でもありました。汗)に伝え、取締役、社長とも一対一で面談していただき。
なんとか私が幸せに働き続けられないものかと、他部署への異動や新しい役職の設置など、交渉の機会を持ってくれましたが、もはや心が決まっている頑固な私は、それに応えることができませんでした。
退職日に社長面談で話したこと
社長がみっちりのスケジュールの中、どうにかして15分の個人面会の時間をとってくださったとき。私は正直な気持ちを打ち明けました。
「もう疲れてしまいました、休みたいです」と。
すると社長は「そうか」と一息ついたあと、わたしの手をそっと握ってお祈りをしてくれました。
「彼女は5年間、会社のために、仲間のために、お客様のために誠心誠意尽くして素晴らしい働きをしてくれました。これから進む道は別になりますが、これからもずっと彼女に愛と幸せが降り注ぎますように」
…涙が止まりませんでした。
わたしはどうしてこんなにも、自分のことを思ってくれる人、大切にしてくれる人の気持ちをむげにしてまで「大好き」なはずのこの場所を、離れてしまおうとするのだろう。
すごく自分を、責めました。
面談の場所、応接室で嗚咽するほど泣きじゃくったのは、後にも先にもわたしぐらいだと思います。
すると社長はそんなわたしを、何も言わずに優しく抱きしめてくれたんです。
あのときのことを、わたしは一生忘れないと思います。
驚きと同時に、なんとも言えない安心感というか
文字通り、胸の奥底に錨が下されたような感覚がありました。
「ああ、わたしには幸せになる”責任”があるんだ」
そう湧いてきて、すぐに外に出て辞表を書いて、提出し
その日のうちに荷物を全部まとめて、即日退職しました。
(退職は計画的に。良い子はマネしないでください。笑)
翌日。ラインやらメッセージやらの嵐。
大人気ない辞め方をしたこと、すごく申し訳ないなと思いながらも
わたし1人いなくなったところで、あの会社にはなんのダメージもない。大丈夫だ。
そう、皮肉ではなく、心から信頼してそう思えた自分がいました。
いつかまた、会いましょう
退職後、仲間や同期たちがわたしの壮行会を開いてくれました。
同期として一緒に頑張っていた仲間が忙しい時間の合間をぬって集まってくれたこと
内定辞退や中途退職などでご無沙汰していた仲間まで久しぶりに集まってくれたこと
胸がいっぱいになりました。
どうしたって見捨てない。仲間でいてくれる。
そんなやさしくてかっこいい、最高の同志達に出逢えたこと、
時間を共にできたことはわたしの誇りです。
今は離れて時が経ちましたが、またどこかで一緒に仕事ができたり、
都留に遊びに来てくれることがあったらいいなって思ってます。
みんな、ありがとう。
おわりに:無駄なことなんて、なにひとつない
1年以上の時を経て、やっと公開することができました。
自分のなかでずっと言語化しきれずに、もやもやしていたこと。
わたしの社会人生活のスタートを支えてくれたのは、まぎれもなく、5年弱のアチーブメント人生です。いまでも社長の教えや、仕事のなかで学んだことが生きています。
アチーブメントという会社に出逢えたことに、心からの感謝を込めて。
そして今この瞬間も、「情熱と達成」の企業文化に命を注ぐ戦士達に、心からの尊敬と感謝の念をこめて。
自分の人生を責任持って生きる、幸せになる
社長の胸の中で立てた誓いに、今日も生きていきます。
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。
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