そしてそんな人に払うお金は
感謝の現れ、とか感情を増幅させる装置、とかよく言われてるけど
私的にしっくりきてるのは
そんなあなたに「生きていてほしい」というメッセージ。
もっとやれ!とでもいいますか。
舞台に飛び出して踊る阿呆のことは
おのずと応援したくなりますよね。
そして、いち阿呆としては
踊ったこともないような人の、とんちんかんな野次よりも
純粋にその瞬間を楽しんで一緒に踊ってくれる仲間の存在や
具体的に金銭を投げ込んでいただいた方が
ぜんぜん盛り上がれると思うんです。
えせコーチ・コンサルタント・ファシリテーター見かけるとイラつく。
この記事に首が取れるかと思うぐらい頷き共感した。
最近よく感じる違和感はこれだ。
まちづくりプロデューサーとか、戦略コンサルタントとか、
なんとかファシリテーターとか、なんちゃらマネジャーとか、
そういう冠のうえにあぐらをかいている人のことが大嫌いだ。
指揮者の人生
ファシリテーターやプロデューサーって、
オーケストラの指揮者と似てるなって私思うんです。
指揮者は、自分では音出さないし、観客に背中さえ向けているけど
オーケストラの楽器の特性・特徴を理解したうえで
それらのバランスを調整したり、演奏を理想通りの状態にするために、
メンバー全員の能力を引き出しながらデザインしていく。
そのためには、実は指揮者自身も、自分がいち楽器として
音を出すこと、音色の美しさを極めること、
自分のパートの曲の解釈を深めることなどを
経験している必要があると思います。
楽器が全くできない指揮者ってみたことない。
ファシリテーターやプロデューサーも
それと一緒じゃないかなって。
思い通りの音を出すまでの苦しさ、ぴったりと合った時の喜び、
なかなか合わない、伝わらない歯がゆさ。
そういうものを自分の身体で感じてきているからこそ、
目の前のメンバーの気持ちがわかる。
そんな、自分の気持ちをわかってくれるリーダー(指揮者)を信頼して、メンバーは自分だけでは思いもよらなかったような音色を奏でることができて、素晴らしい演奏が出来上がっていく。
いま自分の「壁」だと感じているものと向き合い、
越えていく経験をすればするほど、
様々な種類の楽器・人と音楽を奏でていくことができるようになり、
結果、多くの人を感動させる
つまり、成果を今よりも上げる事が
出来るようになるのではないかなぁと。
中学校~大学までの吹奏楽部/学生指揮経験で学んだことは
いまもこうやって私の中に活きているなぁ。
楽器を使わずに音楽やってるように、生きてます。
そしてなかなか、ジャズ的ですね。笑
リーダーシップ・ファシリテーション力ってスキルじゃなくて、
これまでどれだけ試行錯誤して、向き合って、
かさぶたを血肉にしてきたかどうかだと改めて思う。
それがきっと「良い経験を積む」ということなんじゃないかな。
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