都留を、第2のふるさとに。これが私たちの考える「まちおこし」の本質。

まちおこし

東京で働いていたわたしが、ほんとうに欲しかったもの

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「根無し草」

東京で会社員をしていたとき、尊敬して大好きだった上司がふと、部下であるわたしを形容する言葉として選んだこの一言に、わたしは深く傷ついた。

上司の期待に応えること。お客様の期待に応えること。
1人ではできない大きなことを成し遂げること。それを支えること。
そうすればみんな喜んでくれるし「ありがとう」って言ってくれる。
そうすることで、わたしは自分が「ここにいていいんだ」ということを必死に確認していた。

「居場所」が欲しかったのだと思う。

小学校の頃から、ずっと「優等生」だった。
勉強はいつも学年最上位で、授業がつまらない先生のことをけなすぐらいだったし、 部活でも結果を出して、ついてこられない子のことを下に見ていた。嫌な子だったと思う。 だからいつも「美緒ちゃんはなんでもできて当たり前」だった。 「すごいね」と言われてもそれは、心の底からの尊敬や褒め言葉なんかではなくて いつもその言葉のうしろには、カッコつきで(わたしとは違って)という空気が漂っていたのが切なかった。

ずっと「居場所」を探していた。

頑張れば、もっと上までいけば 「すごいね」って突き放されるんじゃなくて、 「くっそ~!悔しいけど、お前すごいな」って互角に渡り合える、尊重し合いつつ磨き合える そんな仲間に出会えると思っていた。

大学から県外に飛び出して、そういう仲間にだんだんと出会えるようになっていった。 それで調子に乗った私は、もともと「地元で教師になる」という当初の目標を方向転換して 都内の人材教育コンサルティング会社に就職を決めた。 もちろん、同期の中で最速で。

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仕事は楽しかった。頑張れば頑張るほど、喜んでくれる人がいたし、自分が成長している実感があった。 研修会社だったので、受講生としてやってくるお客様達とも交流し、 社会の第一線で活躍する経営者、ビジネスパーソン達と杯を交わしたり、ときにはぶつかり合ったりしたこともある。

それでも、私の「ほんとうに欲しいもの」は手に入らなかった。

がんばっても、がんばっても、「もっと上へ」「もっと上へ」の連続。
どこまででも行きたい、という人にとっては最高の環境だと思うけれど、私自身は、一生ここに居続けることはないなという気持ちが拭いされなくなって、とうとう突然、会社を辞めた。

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私がほんとうに欲しいもの、「居場所」はここにはなかった。
というか、私自身がここを自分の「居場所」って心から思うことができなかったんだ。
ただ、それだけのこと。

「居場所」=「実家」と安易に設定するのは間違いだと悟った日々

「居場所」が欲しい。

ただそれだけで会社を辞めた私は、間髪入れずに実家に戻った。

でもそこにも最初から、自分の「居場所」があったとは言い難い。
4年前に私が出て行った実家は、その年月相応の変化をしていた。 当時は祖母の介護を両親が交代でしていて、毎日のように父か母が祖母を怒鳴りつける声が聞こえていた。 家にいるのに、そこがもう自分の家ではないように感じて、かなり気をつかっていた。

今はもう祖母は老人ホームへ入ってしまったけれど、それでもなんだか実家に居ても「間借り感」は拭い去れなかった。 挙げ句の果てに、母親との喧嘩。 心配しているのは十分わかっているつもりだけど、自分がもがきながらも新しいことにチャレンジしようとした矢先に 「あんたにそんなことできるわけない」って一言言われたのにはさすがに頭にきて、 人生で初めて茶碗を投げつけて盛大に割る、という暴挙にでた。
自分が自分でないみたいで、すごく辛かった時期。

会社をやめてまで自分のやりたいことや、送りたい人生を送ろうって思ってたのにこのざまか。 自分のことをが大嫌いで、日夜自分を責め続けて、そのストレスで帯状疱疹になったりとかもしていた。

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・すべてはこの瞬間のために。・そう心から言える時をどれだけ刻めるのか、が 私にとっては・人生の豊かさを決める指標なのかもしれない。#gjtfarm #脱穀キャンプ #いつもながら #最高 #関わってくれた人達みんなに #心からの #かんしゃ ☺︎ #はたけ日記

実家に帰ろう、と思い立った理由は幾つかあるのだけれど、その中での一つとして 中学時代からの友達が一緒に畑をやろう、と誘ってくれたことも大きかった。 日中は仕事をして、朝晩もできるだけ畑にいた。 用事がなくても、何かと理由をつけては田んぼ畑に行って、だいたい行くと誰かいるので なんてことのない話をして、気分が乗ったらそこでコーヒーでも淹れてのんで、時間を過ごす。 そこが当時の私の「居場所」だったように、今振り返ってみると思う。

本当の自信は、どこからくるのか?

なにもできなくても、何も持ってなくても、生きているだけでいい。
そう心から自分自身に思えたときに、ほんとの「自信」って湧いてくるのかなって思う。 畑で草刈りをしながら、そんなことがふと湧いてきて、 1人で作業しながら汗と涙でぐじゃぐじゃになっていた一昨年の夏。

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田んぼ畑や、そこに生きている植物や虫たちは、そういうことをいとも簡単にしれっと伝えてくるものだから困ってしまう。

そしてそこでふと湧いてきたこと、感じたことを ふわっと共有できる仲間がそばにいたことも私にとって物凄い幸運だった。

全てを捨てて、身一つになったときに、天に恥じない生き方ができているだろうか。
何もできなくても、何も持っていなかったとしても、自分で自分を誇れるか。
他の誰でもない自分自身が、まず自分自身のことをまるっと受け入れて、愛せるか。
それが少してもできたときに、今いるここが自分の居場所になる。

田んぼ畑を友達と耕しながら、遊びながら無目的にダラダラ過ごした時間の中で、わたしは、東京のど真ん中でいくら探しても見つけることのできなかった「答え」のようなものを、はからずして手にしてしまったのかもしれない。

「ふるさと」のつくり方

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農コミュニケーション!・ほとんどの人、はじめまして。・なのに、ものの数時間一緒に田植えするだけでこの笑顔!・人が人らしくいれる場所。・正解なんてなくていろんな方法をためして、失敗して、ガハハと笑ってうまくいったら飛び上がって喜んでいろんな境界線を軽やかにこえていく。・生まれ故郷を好きだと言ってくれる人がいるって、うれしいなぁ。

なにもできなくても、何も持ってなくても、生きているだけでいい。
それを許してくれる場所が、わたしにとってはここ、都留だった。

生まれ育った町、というのがもちろんでかい。
けどそれだけじゃないよなって思う。

一見「面倒くさい」「コスパ悪い…」って思うような時間の使い方…わたしだったら田んぼ畑を、なんのキャリアもないど素人集団でああでもないこうでもない、っていながら1年間まわしてきた経験が、予想もつかないようなギフトを沢山もたらしてくれた。

「ふるさと」ってそういうものなんじゃないかなって思う。
『生まれ育った場所』と「ふるさと」を定義するのだとしたら、 ルソーは「人は2度生まれる」と言っているぐらいだし、その人自身の「第2の誕生」に居合わせた場所自体が その人にとっては「第2のふるさと」になるんじゃないだろうか。

わたしはたまたま、第1も、第2も、誕生というか人生を生きなおすことになった場所がここ「都留」だったわけだけれども。
しばらくはここに腰を据えて、そんな「第2の誕生」の瞬間をここで沢山見届けていきたいなって思っている。

「面倒くさい」がのちのち思い出になり、経験としてその人の血肉になっていく…という持論は、 都留仲間の農家・はのさちさんとも常日頃話題にしていることだったりする。 彼女も実家の静岡を出て、卒業した都留文科大学のあるこのまちで、自分の理想とする「農的な暮らし」をしたいと 覚悟決めて頑張ってる最高すぎる仲間だ。

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・きのうの竹とりオフショット(?笑)。・すいかの赤が映える!横井さん撮影。かんしゃ☺︎・なんでもない日常が、なんでもなくなるかどうかってやっぱり、自分しだいだよなって思う。#はたけ日記 #yamanashi #tsurucity #農的 #くらし #すいか は #無農薬 !

彼女と一緒に2年前から、都内の児童養護施設で暮らす子供たちを夏休み中の2日間で受け入れ、 さながら「おばあちゃん家に帰ってきた」かのような田舎体験と川遊び、畑仕事をしてもらうプログラムを行っている。

そんな風に、このまちにはきっと ある程度の長さここに滞在しつつ、楽しいことはもちろんだけどそれだけじゃなくて 面倒くさいことを必死に乗り越えてみたりとか、いままで考えたこともないような考え方に出会ったりとか そういう「原体験」をつむことでこの場所を「第2のふるさと」にしてもらえる可能性が、沢山眠っているんじゃないかなぁ。 彼女との日々の中で、そんなことを思い起こさせられる。

目新しい名産品をつくるとか、ブランディングするとか、観光プロモーションとか、そういうことではなくて。 ほんとうに、ただただシンプルに「このまちが好き」と心から思える人たちを どれだけ増やしていくことができるのだろう。

それこそが「まちおこし」の本質なんじゃないかと、考えつつ動いている日々。

「面倒くさい」経験の中でも、応援してくれたり、支えてくれた人のことを、いつかこのまちを離れたあともふと思い出して「あ、あの人いまどうしてるかな」なんて お互いに思い合うことができたなら。

それが「居場所がある」ということであり「ふるさとをつくる」ということであり「まちおこしの本質」であってほしいと、 願ってやまないわたしです。

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