続・勇気を出すということ ー愛か、恐れかー

旦那と喧嘩して。その模様をSNSで晒して。さまざまな反応がありました。
 

 
 
旦那のFacebook投稿へのコメントのひとつに、
私自身がすごく腹が立ち傷ついたこともあったりして
自分でもびっくりするぐらいそれを引きずってて、
電話でそのことを旦那にも言ったのだけれど
「そうね〜。ワイン会で1回あっただけの人だから」とだけ返答され、
そのコメントへの返しはなし。
わたしはその人に対してどんな返しをしてやろうか…と
小一時間PCとにらめっこしていたのに。
あわよくば旦那が持ち前のたまに出る斬れ味で
ピシャッといってくれるのを期待していたのにw
「その人の世界では、それが正解だから。ただその人の幸せを祈る★」
とさらっと言う旦那に
あーもうこの人にはかなわないなと思いました。笑
 
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「お金=信用」というフレーズは、耳タコレベルでよく聞く話。
これだけの人たちがコメントくれたり、反応してくれてたり、
文章をよんで特にいいねとかしてないけど、きっと今もその人なりに思うことがあり関心を寄せてくれていたりとかするのも感じるし、
ここだけじゃなく、超長文のメッセージをいただいたりしている私に、
「信用が足りない可能性がある」とは言いがたいと思う。
10000歩譲って私に信用がないとしても、
私の半分は自分に関わってくれた人や応援してくれる人たちの善意と純粋な心でできていると思っているので、その私を信じて心を配ってくれた人たちのことを無下にするような言い方はいくら私のことを知らない人であったとしても、許せないなって思った。
うん。やっぱ傷ついたわ。。。
 
問題は「お金=信用」がないことなのではなく、
というかありがたいことに信用(というより期待、とした方がしっくりくる感じもするが)はある方だと思っていて、その「信用」を、エネルギーをどこに向けていくか、っていうことなのだと思う。
それをしかるべき形に変換していく、あるいは受け取る、受け止める?器の不足がいまのわたしのテーマであって。というか「不足している」と捉えていること自体がきっといまの自分の課題なのだろうなぁと。
だとしたらその課題を解決する方法はただひとつ、「自分にお金を使うこと」だ。
というわけで夫婦で協議の結果、ふたりで毎日5000円ずつを貯めて、2年後には300万円にしよう、と約束をした。
 
でも、これだけではまだ話はおさまらない。
なぜなら、私が今回の一連の行動を通して得ようとしていたこと、
求めていることはなんなのかをまだ、全然観られていないから。
 
 
加美さん隼人さんのコンサルを申し込んだ日の日記に、答えが書いてあった。

 

www.naramio.com

 以下抜粋

子どもを生み育てたい。
でも、その前に(同時に)女として一生美しくいたい。
エーリッヒ・フロム「愛するということ」に書いてあった「乳と蜜」。
ただ子供を養い守るだけでなく、
”人生は素晴らしい”ということを自分の生き様でみせる自分でありたい。
 
それは、これから生まれてくる自分たちの子どもに対してだけじゃなくて
一事が万事だと思う。
 
見ている人、関わってくれる人、世界に対して
「ああ、こういう生き方もあるんだ」「これでいいんだ」って
その人がその人のホントの望みに気づき
それを自ら叶えていくことの後押しになれるような
そんな存在でいたい。

 

要はそういうこと。
この望みに私はただシンプルに向かっていけばいいのだと思った。
手段なんて無限にあるんだから。

 

目の前に一足早くそのビジョンを叶えつつある人が現れて、
というか自分が目の前のその人を現して、もっとお近づきになりたい!って
素直にその気持ちを表現できたのはよかった。
そのおかげでこうしてまたひとつ、夫婦でお互いの理解を深められたこともよかった。

そしてそのことで、上記の望みにまた一歩近づけたような気がする。
どんなことも結局、愛なんだと思うのだ。

降参して受け取って、一歩一歩、すすんでいこうと思う。
私の、私たちのペースで。

 

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